『どうしてもコメの話』 井上ひさし (新潮文庫)

 きのうあげた記事の中で触れた「コメの本」は、井上ひさしの『どうしてもコメの話』。
 先々週帰省した時に持ち帰った1冊です。

IMG_20201026_220639.jpg

日本のコメが危ない。押し寄せる関税化・自由化の波に、現実になった大凶作、緊急輸入――。いまこそ日本のコメや農村の重要性を認識し、地球に優しい水田を守っていくときである。一粒のコメをつぶさに見つめ、児孫のために美田を残す道を探る。コメをめぐるあらゆる迷信を覆し、日本の進むべき新たな指針を示す。第一弾『コメの話』に引き続き、文庫オリジナル版で緊急刊行!

 発行されたのは、平成5年(1993年)11月25日。
 記録的冷夏で、タイ米が緊急輸入された年です。

 目次に書かれているのは6つの章のタイトルだけですが、このうち2つは5ページ前後の短い文を集めたもの。初出の媒体を加えると、以下のようになります。
 1993年10月に出た(はずの)「週刊文春」1993年10月21日号・「小説新潮」1993年11月号もあり・・・。
 これは確かに緊急刊行ですね。。

-------------------------------------------------------------------------------------
 まえがき
続 井上ひさしのコメ講座
(1991年11月、岩波書店刊、岩波ブックレット『続 井上ひさしのコメ講座』)
どうしてもコメの話
  またまたコメの話(「小説新潮」1992年3月号)
  やっぱりコメの話(「小説新潮」1992年4月号)
  どうしてもコメの話(「小説新潮」1992年5月号)
  しつこいようですがコメの話(「小説新潮」1992年6月号)
  とにもかくにもコメの話(「小説新潮」1992年7月号)
  愚者の一心コメの話(「小説新潮」1992年8月号)
  愚者の一心コメの話(承前)(「小説新潮」1992年10月号)
  やむにやまれずコメの話(「小説新潮」1992年11月号)
  右往左往コメの話(「小説新潮」1992年12月号)
  怒り心頭コメの話(「小説新潮」1993年新年号)
  たまには楽しくコメの話(「小説新潮」1993年2月号)
  小首かしげてコメの話(「小説新潮」1993年3月号)
  味わい深いコメの話(「小説新潮」1993年4月号)
  大きな視野でコメの話(「小説新潮」1993年5月号)
  あれやこれやでコメの話(「小説新潮」1993年8月号)
  寒さの夏にコメの話(「小説新潮」1993年9月号)
  雨ニモマケズこめの話(「小説新潮」1993年10月号)
  ひと粒ひと粒コメの話(「小説新潮」1993年11月号)
なぜ、私はコメの自由化に反対するか(「宝石」1992年10月号)
それからの「吉里吉里国」
  水田は先人が遺した社会的装置(毎日新聞1992年6月26日)
  ふんだくリゾート(毎日新聞1992年7月2日)
  「協同」の精神(毎日新聞1992年8月31日)
  秋のユーウツ(毎日新聞1992年10月26日)
  コメとクリントン氏(毎日新聞1992年11月9日)
  コメ再び、みたび…(毎日新聞1993年10月18日)
  農民への応援歌
    (『ドキュメント日本の米づくり』村野雅義 ちくま文庫解説)
  それからの「吉里吉里国」(「マルコポーロ」1992年3月1日号)
食文化の核——コメこそ「保護する」となぜ明言できないのか
           (「日本の論点」1992年11月)
コメ自由化論者はノー天気坊や(「週刊文春」1993年10月21日号)
 参考資料集
-------------------------------------------------------------------------------------

 井上ひさしがこれほどコメ問題に関心を持ち、これだけのものを著していたとは知らなかったです。
 ウルグアイ・ラウンド、記録的冷夏、コメの市場開放――。
 毎日新聞はともかく、小説新潮でコメの話というのは意外な感じがしますが、このような時代背景があったからでしょう。

 同じ時期に違う媒体で書いていたので、内容が重なっている部分もあります。
 それはよいのですが、以下の2か所は整合が取れているのでしょうか?

 とにもかくにもコメの話(「小説新潮」1992年7月号)――。

IMG_20201026_220725.jpg

 なぜ、私はコメの自由化に反対するか(「宝石」1992年10月号)——。

IMG_20201026_220810.jpg

 とにもかくにもコメの話(「小説新潮」1992年7月号)
   「一〇ヘクタール以上の稲作農家」は、いま全国でわずか一四九〇戸
    北海道と秋田とで一二二三戸を占めている

 なぜ、私はコメの自由化に反対するか(「宝石」1992年10月号)
   一五ヘクタール以上の農家というのは、全国で二〇〇〇戸ぐらい
    大潟村に六〇〇戸、それから北海道に六〇〇戸、合わせて一二〇〇戸

 前者の対象が「稲作農家」なのに対し、後者は「農家」。
 対象が違うとすれば、「10ha以上の稲作農家は1490戸」と「15ha以上の農家は2000戸」は矛盾しません。
 ただ、どちらもこれを満たす戸数が1200戸程度。エリアが同じ(北海道+秋田)、数字もほぼ同じなのが気になります。
 後者のうち、大潟村の15haはパイロット水田なので、農家=稲作農家。
 前者で北海道と秋田の内訳は書かれていませんが、10ha以降は600戸を上回るので、秋田>北海道は確実なのでしょう。
 これ以上は詳しい資料がないと、分からないですね。。

 コメだけでなく、耕作放棄地の増加も問題――。

「だれかに住んでもらわないと、国土が荒廃する。ある地域社会が荒廃すれば、文化が一つなくなり、国の歴史の一部が欠けてしまう。そのためにも有志に住んでもらいたい」(P192)

 同じような表現が複数出てきますが、そういうことですね。
 地方への金の使い方は、ヨーロッパに見習うべきものがあるかもしれません。
 30年近く前の話なので、継続しているかは確認する必要がありますが・・・。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント