『世界最大の気象情報会社になった日』 石橋博良 (講談社)

 ちょうど50年前、昭和45年(1970年)年1月31日9時の天気図。
 画像のリンク先は、ハレックスのサイト掲載の気象庁OB・市澤成介氏の記事で、5年前に書かれたものです。

 「昭和45年1月低気圧」と命名された低気圧。
 広い範囲で、暴風・大雨・大雪による大きな被害が出ました。
 海難事故も多発――ということで、本書につながります。
 カバーに引用されている本書の一部を抜粋――。

「その日」は土曜日だった。虫の知らせだったか、私はいつもより早い朝八時に出社した。前夜、東京でも大雨が降ったが、その雨も上がった穏やかな冬の朝だったと思う。
 誰もいない木材部のオフィスで、一台の電話がけたたましく鳴り続けていた。駆け寄って受話器を取った。荷主である小名浜の木材問屋の部長からの、空光丸遭難を知らせる第一報であった。私が用船担当をしていた船である。衝撃だった。――

 ちょうど50年ということで、本棚から取り出し、数日前から拾い読み。
 最初に読んだ当時の感覚を思い出しました。
 年に一度くらいは目を通さないといけませんね。

 ちょうど50年ということで、きのうはこんな記事が出ていました。
 饒村曜氏の唯一名前がついた50年前の低気圧
 当然ながら、市澤氏の記事と重なる部分が多く、それはよいのですが・・・。

ウェザーニューズ社と「昭和45年1月低気圧」

 「昭和45年1月低気圧」の暴風により福島県の小名浜港では、木材を運んでいた大型貨物船「空光丸」が沈没し、15名が死亡しています。
 このとき、安宅産業(当時)で用船を担当していた石橋博良氏は、寄港予定先の大阪港が混雑しており、滞船料が膨大になることから「空光丸」を荷役がすぐできる小名浜へ向かわせています。
 低気圧が発達して暴風になることを全く知らずにです。(以下略)

 意図的か否か分かりませんが、もう少し違った表現があるだろうと・・・。
 反面教師として、価値のある記事です。。

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序章  気象情報サービスの思想
第一章 一九七〇年一月三一日の嵐
第二章 天気予報の聖域に挑む
第三章 天気予報は地球を救えるか
終章  ヒロとノームの物語
     (1995年8月25日第1刷発行)

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