『無思想の発見』 養老孟司 (ちくま新書)

 処分しようと思っていた、養老孟司の『無思想の発見』。
 最後にもう一度――ということで去年も再読し、書きかけの記事の最終保存時刻は2018-06-21 10:01になっていました。

 書き途中の記事に残っていたのは、カバー記載の概要を写したもの――。

日本人は無宗教・無思想・無哲学だという。さて無思想とは、どのような事態か。もしかするとそれは、「ゼロ」のようなものではないのか。つまりゼロとは、「なにもない」状態をあらわしつつ、同時に数字の起点でもある。ならば、「思想がない」というのも、ひとつの「思想」のあり方ではないか。日本の風土と伝統が生んだ「無思想という思想」を手がかりに、現代を取り巻く諸問題、さらには、意識/無意識とはなにかを、大胆に、されど精微に考え尽し、閉塞した現代に風穴を開ける。 

 以下の部分も写していましたが、この後、何を書こうとしていたのか・・・。

 なぜ日本人は「自分には思想はない」と思いたがるのか。
 一つには、それが謙虚な態度に見えるからであろう。世間で生きていくには、謙虚に見えることは、処世術として大切なことである。(中略)
 もう一つは、「自分に思想はない」と思ったときから、それ以上、思想について考える必要がなくなるからであろう。考えるというのは億劫なもので、それこそあれこれ考えるくらいなら、「やってしまったほうが早い」。それだけではない。論理的にも、「自分には思想がない」という思想は、もっとも経済的な思想である。なぜなら、そう思ったときには、他の思想についても、もはやその内容を考える必要がなくなるからである。「ない」ものについて、考えることはできないではないか。(P72‐73)


 さらに、本書で引用されている本が一行だけ――。
 これはまったく分かりませんね。。

 丸山真男 『日本の思想』(岩波書店)

 ほかにも多数の本が引用されていて、その中でも変な形で記憶に残っていたのが、中島岳志の『中村屋のボース』(白水社)。この書名と引用部分は忘れていましたが、関連して夢野久作の名前が出てくるのは覚えていました。

 引用部分に名前はないが、玄洋社に関係して、杉山茂丸が登場する。杉山夫妻の骨格標本は、東京大学医学部の標本室に収められている。それぞれの骨格に頭書が付されており、茂丸のものは頭山満、夫人は広田弘毅による。そんなものが、なぜそんなところにあるのか。頭書によれば、茂丸は死体国有論を異論としていたという。かつて私はその詳細を知りたいと思ったが、機会を得なかった。茂丸の子が夢野久作である。その作品はむしろ、思想に満ちているといってもいいだろう。(P141-142)

 20年以上(!)借りたままになっている夢野久作をどうしようか――と去年も思い、今回も思いました。。

 もう一冊、これは借りた本ではなく買った本――。

 この前の戦争でフィリッピンに軍属として赴任していた小松真一の『虜人日記』(ちくま学芸文庫)の内容を、山本七平が論じた『日本はなぜ敗れるものか――敗因21ヵ条』(角川書店)という本がある。ここにも戦争と食料の問題が書かれている。比島もまた、飢餓にあえいだ戦線だったからである。(P179-180)


 私が持っているのは『日本はなぜ敗れるものか――敗因21ヵ条』。『虜人日記』の内容が生々しく描かれていて、通しでは読めていません。この本もどうしたものか・・・。

 本書は今回の再読を終えて処分する予定でしたが、改めて考えさせられることがあり、残すことにしました。

 現在、ほかに処分予定なのは30冊ほど。帰省から戻った後、再来週でしょうか。。

-----------------------------------------------------------
第一章 私的な私、公的な私
第二章 だれが自分を創るのか
第三章 われわれに思想はあるのか
第四章 無思想という思想
第五章 ゼロの発見
第六章 無思想の由来
第七章 モノと思想
第八章 気持ちはじかに伝わる
第九章 じゃあどうするのか
  あとがき
   (2005年12月10日第1刷発行 2005年12月20日第2刷発行)

-----------------------------------------------------------

"『無思想の発見』 養老孟司 (ちくま新書)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント