『奥州藤原氏の栄光と挫折』 今東光 (講談社)

 1月30日、佐野洋の『元号裁判』を読んだ後のツイート――。

Wikipediaで佐野洋のページのリンクから、梶山季之、さらに今東光へ。梶山季之はともかく、今東光は一冊持っているので次の次くらいに・・・という備忘録。

 「次の次くらい」の予定でしたが、実際は「次の次の次の次の次の次の次の次」になりました。
 ――というわけで、今東光の『奥州藤原氏の栄光と挫折』。

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 3時間ほど前にあげた『人麻呂の暗号』と同様、古本屋で買い、本棚の奥で眠っていた一冊。
 夜勤のリズムから抜けられず、未明に目が覚めたので、ちょっと読み始めたら止まらなくなり、半分以上読んだところで午前4時。
 さすがにここでやめましたが、夜勤を三日間やったのと大差なく・・・。
 昼前に起きてちょっと読み、泳いだ後の夕方に読了しました。

 中尊寺貫主ということで、奥州側に肩入れし過ぎな感じもしましたが、わりと読みやすかったです。
 ややこしい安倍氏・清原氏・奥州藤原氏の関係が整理出来ました。
 今度こそ、ほぼ忘れないと思います。たぶん・・・。

 ただ、腑に落ちない点がありました。
 20ページ(画像の右)、経清の父は下総あたりに荘園をもっていたのに、奥州の亘理郡の荘園主に転ぜられた。いまの宮城県の北部地方だ。とは?
 亘理郡は、宮城県の南部ですが・・・。

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 155ページ(画像の左)にも、亘理荘は宮城県の北部一帯をさしていたの記述があり、何か勘違いがあったと思われます。

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 下は106・107ページ。
 安倍頼時の死について、106ページでは鳥海柵で、安倍一族の大将頼時、源頼義・義家軍の流れ矢に当たって戦死とあるのに対し、107ページでは、頼時が外ヶ浜まで来たある夜、突如として大部隊の奇襲を受けた。(略)大酋長安倍頼時は流れ矢に当たって死亡
 頼時が亡くなったのは、外ヶ浜なのか? 鳥海柵なのか?

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 Wikipediaを見ると、次のようにありました。

天喜5年(1057年)7月、反旗を翻した一族と見られる豪族・安倍富忠を説得するために頼時は北上したが、仁土呂志辺においてに富忠勢に奇襲を受け、流れ矢を受けて深手を負った。重傷の身で鳥海柵まで退却したが、本拠地の衣川を目前に鳥海柵で没し、貞任が頼時の跡を継いだ。

 仁土呂志が外ヶ浜なのか確証がつかめないですが、流れ矢が当たった場所と亡くなった場所が違うということですね。
 これなら、106ページも107ページも、間違いではありません。
 ・・・とはいえ、もう少し丁寧な書き方があったと思います。

 本書を読むきっかけとなったWikipediaには、驚くことがたくさんありました。
 単に僧侶ということでなく、小説家、そして、参議院議員だったとは・・・。

1968年には参議院議員選挙全国区に自由民主党から立候補、当選し1期務めた。選挙時には川端康成が選挙事務長となって運動に協力、街頭で応援演説も行った。議会での最初の発言は「自衛隊は人を殺すのが商売なのだから、安心して殺せ」であり、型破りな性格と発言はつとに有名だった。「毒舌説法」でテレビや週刊誌でもコメンテーターとして人気があり、1973年からは週刊プレイボーイの過激な人生相談「極道辻説法」でも知られた。生来の「喧嘩屋」でその特異な人物像から各界に多大な影響を及ぼしたため梶原一騎や笹川良一と並び少々の誇張も含め「昭和の怪人」として評されることが多い。

 「中尊寺貫主時代」の項にある記述――。
 この部分の前には、以下の記載があります。

平泉・中尊寺を創建した奥州藤原氏を描いた歴史小説『蒼き蝦夷の血 藤原四代』を1970年から執筆するが、藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡の三代までを描いたところで死去したため、未完となっている。

 本書の最後の文章を読むと、完結したかのように思えますが・・・。

 いままでだれも試みなかった彼の生涯を、中尊寺住職となった僕が、正しい歴史に書き留める運命かと思い、初代清衡、二代基衡、三代秀衡、四代泰衡と書き綴ったのである。中尊寺に杖を曳く人は、僕の『蒼き蝦夷の血』(全四巻。新人物往来社刊行)を読んで、明らかな歴史を知っていただきたいと思っているのである。

 この部分の「彼」とは、藤原泰衡。
 泰衡を書き留めるはずが、秀衡までで終わってしまったとは、皮肉です。

 それにしても謎なのは、本書が書かれた時期。
 発行は1993年ですが、今東光が亡くなったのは1977年(これも、Wikipediaで知って驚いたことの一つです)。
 Wikipediaの著書一覧には本書がなく・・・。

 プロローグの最後には、なお、本書は著者が生前、諸書に発表したものを集めて今様に編んだものである。と書かれています。
 ということで、このプロローグの一部(or全部)は1993年の発行時に別の人物によって書かれたもののようです。
 『蒼き蝦夷の血 藤原四代』に触れていて、四代泰衡と書き綴ったと言及していることからすると、最晩年の執筆だったのかもしれません。

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 プロローグ
第1章 黄金花咲くみちのく
     ――奥州藤原氏を訪ねて
第2章 奥州合戦――源頼義・義家と安倍・清原家の激闘
     ――前九年・後三年の役
第3章 奥州藤原四代
     ――その栄光と悲惨
第4章 付録
     ――関係史跡案内と関係略年表
  (1993年3月20日第1刷発行 1993年8月5日第3刷発行)
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