『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』 瀧浪貞子 (中公新書)

 夜勤初日のおととい、泳いだ後にマリンピアの未来屋書店へ。
 目的は未読のクリスティーでしたが、出たばかりの中公新書も一冊――。
 『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』。飛鳥時代は久しぶりです。

 冒頭の系図はかなり複雑ですが、この時代おなじみの人物ばかり。
 ちょっと謎なのは、藤原不比等の名前がないこと。
 弓削皇子の右にスペースはあるので、意図しない欠落と思います。

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 瀧浪貞子の著書は初めてですが、この時代の本は何冊も読んでいるので、夜勤中の冴えない頭でも、わりとすんなり読み終えました。
 持統天皇の境に、皇位が兄弟間の継承から父子継承に変わった――などは、ほかの本でも知っていた話。
 ただ、女帝の実子は立太子できず、皇位継承から除外されたというのは、初めて聞いたような・・・。推古天皇-厩戸皇子、皇極天皇-古人大兄皇子(実際は立太子せず)の2例しかないので、どこまで一般化出来るのか分かりませんが、「政治的緊張の緩和」が女帝擁立の目的ならば、そのような解釈も出来そうです。
 ほかの新たな発見としては、万葉集の意味づけ。万葉集に関してだけで20ページほど割かれていて、単なる(という表現も何ですが・・・)歌集ではなく、政治的な意図も強かったことが分かりました。

 歌によって王権の歴史を綴ろうとした『万葉集』(「母体万葉)」)は、つまるところ天武→草壁→文武という三大父子の王権を権威づけ、その正当性を書きとどめるところに本意があった。(P238)


 持統天皇が亡くなったのは702年で、当時の都は藤原京。平城京へ移るのはその8年後ですが――10日前の報道1930でこんなフリップが現れたので、思わず撮ってしまいました。。


 本書を読んでいなくても、日本史を習っていればありえない間違い――。
 持統天皇は奈良時代ではありません。。

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 はじめに
第一章 誕生(645年)――人生を方向づけた「大化改新」
第二章 幼少期(649年~)――衝撃を受けた「蘇我倉山田石川麻呂の自害」
第三章 結婚(657年~)――はじめて体験した国難「白村江の戦」
第四章 夫婦の絆(671年~)――虎に翼をつけた「壬申の乱」
第五章 立后(673年~)――仕組まれた?「大津皇子の謀反」
第六章 称制から即位へ(686年~)――期待に満ちた「藤原京遷都」
第七章 譲位(697年~)――『万葉集』に託されたメッセージ
第八章 死没(702年)――血脈の安泰を願った「大内陵」
 あとがき
         (2019年10月25日発行)

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