『十字軍物語 第四巻 十字軍の黄昏』 塩野七生 (新潮文庫)

 『十字軍物語』の第四巻を読み終えました。
 先月から、やや駆け足で4冊読み、十字軍について少し分かったような感じがします。

 十字軍は第八次まであり、それぞれ性格が違っていたこと。
 この4巻でいえば、第六次のトップ・フリードリッヒ2世はローマ法王から破門されたこと。
 第七次・第八次を率いたルイ9世は散々な結果に終わったのに、死後、聖人に列せられたこと。
 十字軍とイスラム側は常に厳しく対立していたわけでなく、共生した時期も短くなかったこと、などなど・・・。

 二百年の十字軍史の後半の約百年、十字軍勢力の事実上の首都の役目を果たしたのはアッコン。
 「肌の色から衣服から種々様々な人々が行き交う」として、次のように描かれています。

 白地に赤い十字のマントをひるがえす聖堂騎士団の騎士と、白いターバンに色とりどりのズボン姿のアラブ人がすれちがう。
 胸に十字をつけた病院騎士団の騎士が、絨毯を売っているペルシアの商人と、何やらアラビア語で話している。
 白地に黒の十字のマント姿ならばチュートン騎士団の騎士だが、彼らも市場では、ドイツなまりも丸出しのフランス語で、こちらも強いなまりで話すユダヤの商人との間で値の交渉をする必要があった。(P209)


 白地に赤の十字の聖堂騎士団・赤地に白の十字の病院騎士団・白地に黒の十字のチュートン騎士団。
 3つの騎士団をこのように表現した箇所はほかにもありますが、疑問に思ったのは聖堂騎士団の赤十字。
 特に、第八次十字軍終了後の聖堂騎士団への弾圧を知ってからは――。
 赤十字で真っ先に思い浮かぶのは、「あの」赤十字(Wikipeida)。
 なぜ、弾圧された聖堂騎士団と同じ組み合わせのマークを選んだのでしょうか?

 Wikipediaを見ると、聖堂騎士団・病院騎士団の旗、チュートン騎士団の紋章(14世紀頃)がありました。
 聖堂騎士団は白地に赤――だけでなく、上は黒地・・・。
 同じ赤十字でもだいぶ違う――ということで、抵抗がなかったのでしょう。

      テンプル騎士団(Wikipedia)

     聖ヨハネ騎士団(Wikipedia)

      ドイツ騎士団(Wikipedia)

 これで納得しかけたところで、白地に赤の十字の画像を見つけました。 (⇒ こちらのサイト
 さらに、この十字軍物語』をレビューしたサイトには3つの騎士団の紋章が並んだ画像が――。


 黒地はなく、白地に赤い十字――。
 では、Wikipediaにある「黒地+白地+赤十字」は・・・?
 謎は深まるばかりですが、完全な十字の形ではないので、抵抗が少なかったのでしょう。。

 もはや、『十字軍物語』とはだいぶ逸れてしまいましたが・・・。

 十字軍が終わった後も続く、キリスト教側とイスラム側の戦闘。
 結びには、1453年のコンスタンティノープル陥落から1683年のウィーン攻防戦があげられています。
 『コンスタンティノープルの陥落』は読みましたが・・・(忘れました)。
 十字軍の背景を少し知った今なら、違った視点で読めるかもしれません。
 タイトルだけ知っている『ロードス島攻防記』・『レパントの海戦』はいずれ――。

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第一章 皇帝フリードリッヒと第六次十字軍
第二章 フランス王ルイと第七次十字軍
第三章 最後の半世紀
第四章 二つの世界のその後
        (平成31年2月1日発行)

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