『小沢一郎の挑戦』 大下英治 (徳間文庫)

 少し前に読んだ内田康夫の『軽井沢殺人事件』。
 著者本人の解説にはこんなことが書かれていました。

 この「解説」を書いている現在、イラクのフセイン大統領がクエートに侵攻して、中東は危機的状況にあります。石油依存度の高い日本は一喜一憂し、不安に脅えています。大きな変動を前にすると、日本の政治家の世界観がいかに脆弱であるかが露呈されます。(P385)

 そんなわけで、イラクのクウェート侵攻で始まる『小沢一郎の挑戦』を実家の本棚から――なんてことは、ありません。。
 『軽井沢殺人事件』と一緒に持ち帰ったのは事実ですが、「イラクのクウェート侵攻」つながり(?)というのは、まったくの偶然。
 帰省した時は衆院選の直前で、ローカルニュースで地元入りする小沢一郎が流れていたので・・・。

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第一章 日本が臨んだ最大の国難
第二章 自衛隊派遣
第三章 国連平和協力隊
第四章 国会論議の波紋
第五章 危機管理能力
第六章 小沢一郎の挑戦
  大下英治氏の『週刊文春』時代  三橋忠之
           (1994年1月15日初刷)

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 タイトルとは裏腹に、本書のタイトルである第六章は20ページ強。
 全体の20分の1の分量しかありません。
 第一章から第五章までは、イラクのクウェート侵攻から湾岸戦争への日本の対応を描いたもの。
 平成2年8月~平成3年2月末までの約半年で、海部首相&小沢幹事長の時期でした。
 これに対し、第六章は平成3年4月の小沢幹事長辞任から平成5年8月の細川内閣を描いたもの。
 20ページちょっとで2年以上なので、かなり足早。
 第一章から第五章までと明らかに内容が異なります。

 巻末には――。

   この作品は1991年4月廣済堂出版より刊行された『官邸の揺らぐ日』に大幅加筆し、改題しました。

 刊行時の1991年4月は、小沢一郎が幹事長を辞任していたかどうかという時期。
 当然、第六章は存在せず、これが文庫本での「大幅加筆」の部分なのでしょう。
 それにしても、分量がもっと少ない第六章が文庫本のタイトルになるとは・・・。
 小沢一郎に重みがあったのか、海部俊樹が軽すぎるのか・・・。
 前者はいろいろ意見がありそうですが、後者は意見がほぼ一致するように思えます。
 多少の脚色はあるにしても、久しぶりにこの本を読んで、首相の資質とは? を考えさせられました。

 多少の脚色はあるにしても――。
 脚色とは思えない、明らかな誤りもありました。

 山崎は、翌十日、日本アラブ友好議員連盟での意見を海部首相に伝えるため、大雨の中を首相官邸に足を運んだ。
 海部首相は、長崎の原爆犠牲者慰霊平和式典に参列していて、留守であった。(P45)


 この「十日」は8月10日のことですが、長崎に原爆が投下されたのは8月9日。
 長崎で原爆犠牲者慰霊平和式典が行われるのは、毎年8月9日です。
 しかも、この記述の直後に――。

 八日にドック入りのための簡単な予備検査を受け、十日の午後零時四十七分から、西新橋の東京慈恵会医大付属病院に入った。(P45)

 海部首相が8月10日官邸を留守にしていたのは、平和式典参列ではなく、人間ドックのためでした。。

 その二日後の描写――。
 激しい雨や雷とあっては、調べるわけにはいきません。。 

 八月十二日は、日曜日というものの、首相公邸は朝から騒々しかった。
 十一時には、公邸に外務大臣の中山太郎、外務事務次官の栗山尚一、外務審議官の小和田恒、中近東アフリカ局長の渡邊允を招いた。すでに官房長官の坂本三十次、官房副長官の大島理森は席についていた。それに官房副長官の石原信雄、内閣外政審議室長の有馬龍夫が加わった。
   (中略)
 海部は、黙っている。外は激しい雨で、雷が一瞬光り、海部の強張った顔をあざやかに浮かびあがらせた。次の瞬間、地が裂けるような落雷の音がひびいた。(P46~47)


 気象庁HPで、8月12日の東京の実況を確認しました。
 午前中は快晴or晴れ、雷が観測されたのは14時前
 雷雨は局地的な現象なので、官邸付近で午前中から強雨や落雷があったことを全否定出来ませんが・・・。
 また、午前中の会議が昼過ぎまで長引いた可能性もありますが、午後四時に再び集まっているし・・・。
 「強張った顔をあざやかに浮かびあがらせた」と描きたいために、作ったのではないかと推測します。

 わけのわからぬまま、中山が公邸にふたたび急行したのは、午後四時だった。
 ほとんどおなじ時刻に、午前中集まった官邸首脳と、外務省首脳が顔をそろえた。(P49)


 次は描写の問題ではなく、単なるミス――。

 自民党は、この時点で百十、自民党と歩調を合わせる民社党が十、それに土屋義彦ら保守系無所属をふたり加え、合計百二十二議席。いっぽう民社党を除く野党は、社会党七十三、公明党二十、共産党十四、連合参議院十二、参院クラブ四、税金党平和の会四議席で合計百二十七議席。その差は五議席である。
 臨時国会で国連平和協力法案の採決に入るまでにおこなわれる参議院愛知補欠選挙で自民党が勝利をおさめれば、自民党は百二十一議席となり、民社党を除く野党との差もわずか四議席となる。(P168)


 「百十」の自民党が補欠選挙を一つ勝っただけで「百二十一」になるわけがありません。
 これをもとにすると「民社を除く他の野党との差」が四議席なので、「民社党を除く野党」は百二十五議席。
 その前に、合計百二十七議席と書いているのに・・・。
 次の記述もちょっとした謎・・・。

 しかも、公明党委員長の石田幸四郎の耳には、税金党の野末陳平をはじめとする三人が自民党入りする噂が入っていた。
 もし実現すれば、自民、民社と他の野党との差は、わずか一議席となる。(P168)


 「民社を除く他の野党との差」が四議席の状況で三人が自民入りすると4-3=1。
 こんなふうに読み取れますが、自民が三議席増えると同時に、野党が三議席減るわけで・・・。

 「自民党(+民社党)は百二十一議席」・「民社党を除く野党は百二十五議席」をもとにすると、自民党(+民社党)は百二十四議席、民社党を除く野党は百二十二議席で、野党のほうが二議席不足。
 引用部分の冒頭、「与党系・百二十二議席」・「民社党を除く野党・百二十七議席」を基準にしても、「与党系・百二十五議席」・「民社党を除く野党・百二十四議席」。
 「自民、民社と他の野党との差は、わずか一議席となる」どころでなく、与野党逆転です。
 いったい何をどう解釈すればこうなるのか・・・けっこういい加減なものですね。。

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