『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡 3』 塩野七生 (新潮文庫)

 全3巻のうち、2巻から再読した『わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡』。
 3巻もわりとあっさり読み終えました。 

   3巻の第三部のタイトルは、マキアヴェッリは、なにを考えたか。
   当然、すっかり忘れているので、新鮮に読めそうです。。


 5年も経つと、または、再読してからは3年かもしれませんが、どちらにしても忘れるには十分すぎる時間。
 予想通り、新鮮に読めました。。

 この第三部は、1513年から1527年まで、14年間のマキアヴェッリが物語られます。
 タイトルがなぜ、マキアヴェッリは、なにを考えたか。になっているかというと――。

 この時期のマキアヴェッリは、第一部や第二部の彼とはちがう。不本意にしても、著作者になってしまったからである。『君主論』をはじめとする彼の全著作は、この時代になって書かれる。「考える」ことしかすることのなくなってしまったマキアヴェッリには、
 考えるから書き、書くから考える
 というもの書きの生き方しか残されなかったからであった。だが、官僚マキアヴェッリだけで終っていたならば早晩忘れ去られていたにちがいないが、もの書きマキアヴェッリは、歴史上に名を残すことになる。(P12)


 1512年のマキアヴェッリの失脚は、フィレンツェを追われたメディチ家が復活したことによるもので、この政変直後、マキアヴェッリが中心になって立ち上げた「フィレンツェ共和国国民軍」は解散させられます。
 ifの話をしても仕方ありませんが、この政変が起こらず、マキアヴェッリが官僚生活を全うしていたら・・・。
 共和国国民軍も存続するわけで、その後のフィレンツェの運命もずいぶん変わっていたはず。
 フィレンツェだけでなく、ローマの運命も・・・。
 1527年の「ローマ掠奪」が起こらなかったかもしれません。
 「ローマ掠奪」が起こったのは、マキアヴェッリの死の1ヵ月半前のこと――。

 マキアヴェッリが、自前の軍備をもつ必要を最初に提唱したのは、一五〇三年であった。終身大統領ソデリーニへの答申という形で、国を守るには力と思慮の双方ともが不可欠であり、とくに自衛力をもたない国家は破壊と隷属に終る宿命をもつ、と断言している。(P230)

 最後の2ヵ月、マキアヴェッリが書いたものは何一つ残っていません。
 塩野七生が書いているように「実に残念と言うしかない」わけで・・・。
 何を思ったのかは想像するしかありませんが、フィレンツェの運命の暗転とともに、自説の妥当性に確信を持ったのか、あるいは、祖国の運命を考えると、自説の妥当性などは意味がないと思ったのか・・・。

 あまりよい意味には使われない、マキアヴェッリズム・マキアヴェッリストという言葉。
 最後まで祖国を思って働いた一人の人間・マキアヴェッリを考えると、不当な(!?)感じ・・・。
 この本を読んでみて、かなり印象が変わりました。

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第三部 マキアヴェッリは、なにを考えたか
 第十四章 『君主論』誕生(一五一三~一五一五)
 第十五章 若き弟子たち(一五一六~一五二二)
 第十六章 「歴史家、喜劇作家、悲劇作家」(一五一八~一五二五)
 第十七章 「わが友」グィッチャルティーニ(一五二一~一五二五)
 第十八章 「わが魂よりも、わが祖国を愛す」(一五二五~一五二六)
 第十九章 ルネサンス終焉(一五二七)
   解説 佐藤優
                          (平成22年5月1日発行)

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 文庫本の解説は3巻とも佐藤優。
 各巻約20ページあり、全部で60ページ超!
 これはなかなか異例の扱いといってよいでしょう。
 どうでもよいところで1ヵ所だけ指摘すると――。

 一九九八年七月に登用され、主任分析官となったとき、辞令に「平成二年試験合格のⅠ種試験合格とする」という但し書きが記されていた。一九九一(平成二)年Ⅰ種試験合格とは、一九九二年四月入省のキャリア職員として扱うということだ。(2巻・P289)

 一九九一年は平成二年ではなく、平成三年。。
 どうでもよい話ですが・・・。

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