『小説吉田学校 第四部 金脈政変』 戸川猪佐武 (角川文庫)

 『小説吉田学校』の第四部は金脈政変
 表紙のイラストは当然、田中角栄で、なぜかヘルメットをかぶった姿。
 土建屋をイメージさせる意図があったのかもしれません。
 
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熱い夏――徳島代理戦争
不器用な男――党人三木の執念
呉越同舟――福田派燃える
七夕選挙の週末――田中内閣揺れる
南平台の夜――三福提携成る
長い六日間――謀将保利の登場
秋風荒ぶ――文春騒動
孤独の決意――総理外遊
盟友の賭――大平陣を布く
消えた"椎名"名簿――内閣改造
少壮のひと――中曾根の影動く
二つの方程式――田中退陣
五十一対四十九――椎名裁定下る
         (昭和56年2月25日初版発行 昭和57年7月30日11版発行)

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 昭和49年10月、田中金脈問題発覚。
 学閥、門閥をもたない田中にとって、金脈は、最大に力の源泉であり、アキレス腱でもあった。七夕参議院選挙の予想外の惨敗で、指導力の低下を囁かれ、党内抗争が再燃しつつあったこの時期、金脈の表面化は火に油を注ぐ結果となった。
 田中退陣は必至と読んで、対決の姿勢をつよめる大平と三福連合。世論の糾弾の厳しさを考え話し合いを打ち出した長老会議――全権を握る椎名裁定のゆくえは……。

 
 椎名裁定での三木総理誕生までの経緯は『政変』(角川文庫)や『現代日本の保守政治』(岩波新書)、徳島代理戦争の経緯は『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』(文春文庫)で読んだことがあったので、夜勤明けの働かない頭でも、わりと早く読み終えました。
 ある程度、バックボーンがあるので、あら探しに集中(?)することが出来・・・。
 第三部と同様、おかしな箇所を見つけてしまいました。

 翌十月二十六日の長官は、すべて田中、河野会談をトップに掲げていた。(P196)

 この一文から始まり、十月二十六日の出来事が描かれています。

 官邸に向かう車のなかで、田中の脳裏にはさっき発酵しはじめた後継者問題が、いっぱいに拡がっていた。そのこと以外の思考は、なにも入り込む余地はなかった。そしてひそかに、自問自答していた。
 ――このさいは、改造内閣に、保利君か、彼がだめなら椎名副総裁を、副総理として迎え、自分の辞任後、"暫定総理"をつとめてもらうことが、もっとも適切ではなかろうか。(P198-199)


 しかし、その夜、保利茂からは、
 「例の入閣の件は、わしはその任にあらずだ。むしろ椎名さんが最適任じゃないか」という連絡があった。
 保利にしてみれば、よくよく考えての結論であった。
 ――角福調整をしくじって、七月に身を退いたおれが出て、あとをどうせよといわれても、自信がない。
 その末に得た結論が、椎名副総理案だった。(P200)


 話が26日夜まで進んだ、この直後――。

 田中が椎名の来訪を求めたのは、十月二十六日――外遊出発の二日前だった。椎名は七時十五分、田中邸に姿を見せた。(P200)

 なんと再び、二十六日朝の話が・・・。
 ちなみに、上で引用した文の中に「翌十月二十六日」とあることから推察されるように、二十五日の出来事も日付入りで描かれています。

 翌二十五日、田中首相の行動は目まぐるしいものがあった。まず、橋本幹事長を首相官邸に呼んで、外遊の留守のあいだの指示を与えた。(P190)

 「翌二十五日」とあるからには、二十四日の記述も――。

 その十月二十四日の朝も、習慣どおりに、きっかりと午前三時には、目を覚ました。だが、いつもとは異なって、スタンドには手を差し伸ばそうとはしなかった。田中のすべての神経は、暗い部屋のなかで、ただ一点……。
 ――内閣総理大臣・自民党総裁の椅子を去る……。
 昨夜、眠りに入る前に、田中はそう決意した。そのことだけに、凝結されていた。(P184)


 「十月二十六日――外遊出発の二日前」が動かせないのであれば、その前の三日間の記述、いずれも日付が一日ずれていたということなのでしょうか? 謎過ぎます。。

 ・・・と思いながら、数ページさかのぼると、23日の日付が・・・。

 その翌日の十月二十三日、田中はいつもように、午前三時半には眼が覚めていた。というよりも、眠れないまま、ずっと眼ざめていたといったほうがよい状態だった。(P174)

 「翌二十三日」とあるからには、二十二日の記述も――。

 田中金脈問題は、十月二十二日、プレスクラブでの記者会見でも問題になった。問題になったというよりは、幹事役になっていたハンガリーの記者がこれをとりあげ、他の外人記者の質問も、そこに集中した形になったのである。(P173)

 「十月二十六日――外遊出発の二日前」が動かせないとすると、その前の五日間の記述、いずれも日付が一日ずれていたということになってしまいます。それとも、椎名の来訪を求めたのは、「十月二十六日――外遊出発の二日前」ではなく、「十月二十七日――外遊出発の一日前」だったのか? あるいは、二十二日から二十六日の間で、別の日の出来事として書かれたことが、同じ日の出来事だったとか・・・。
 謎過ぎます。。

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