『小説吉田学校 第三部 角福火山』 戸川猪佐武 (角川文庫)

 このシリーズ、表紙カバーに主役のイラストが描かれていて、第一部は吉田茂、第二部は鳩山一郎と河野一郎のツーショットでした。
 『第三部 角福火山』もツーショットですが、田中角栄と福田赳夫ではありません。佐藤政権下のライバルで、後継を争う立場でしたから・・・ということで、ツーショットに収まっているのは佐藤栄作と福田赳夫。佐藤総理が後継に考えていたのは福田赳夫だったので、田中角栄&福田赳夫より収まりがよいのは確かですが・・・。
 同じユニットバスに入り、福田赳夫に視線を送り、軽くお湯をかけようとしている佐藤総理。ちょっと気持ちの悪い構図ではあります。普段の(?)傲岸不遜な感じがする佐藤総理と違うだけに、なおさら・・・。
 佐藤総理はやはり、こうでないと・・・!? 以下は、首相退任時の会見の描写です。

 佐藤は、正午にテレビ会見に出た。テレビを通じて国民に訴えるという目的のこの会見に、オブザーバーとして、新聞記者たちも顔をそろえていた。それをみるなり佐藤は、強硬なことをいってのけた。
 「新聞は、偏向している。記者とは話さん。テレビで、直接、国民と話したいのだ」
 これまで新聞が展開してきた佐藤内閣批判に、佐藤は腹立たしさをいだきつづけてきた。それが、引退を表明したあと、
 ――もう憚ることはない。
 とばかり爆発したのだ。
 この佐藤の一言に、記者団は色をなした。
 「それじゃ、出ようじゃないか!」
 記者たちが去って、がらんとなった会見室で、佐藤はテレビ・カメラに向かった。その場面をテレビはあますところなく映し出した。それは退いていく権力者の虚しさを、視聴者に伝えた。記者たちに向けていたきつ表情を、急に笑顔に変えて、カメラに語りかけるしぐさも、空疎感をたかめた。(P328-329)



 善悪はおいといて、何なんでしょうか、この目力は・・・。

 それにしても、佐藤総裁をめぐって、反福田の空気がここまで強かったとは思いませんでした。
 主な派閥は、田中・大平・三木・中曽根vs福田の構図(立候補したのは中曽根をのぞく「三角大福」)。
 自分が物心ついた時は五大派閥の時代で、田中・大平vs福田・三木 & 風見鶏・中曽根という感じだったので、三木が福田と対立し、田中と手を組むという構図が新鮮(?)でした。もっとも、ここまで読んでくると、福田派と三木派は思想や成り立ちがかなり違うので、対立関係のほうが自然だったことが分かります。

 そして、この時に自民党総裁選挙の結果は・・・。

 「……田中角栄君百五十六票。福田赳夫君百五十票。大平正芳君百一票。三木武夫君六十九票……」(P351)

 問題になのは、三木武夫の得票数。はっきり六十九票と書かれていますが・・・。

 三木武夫は、首相官邸にあらわれたとき、その表情が蒼ざめているように思えた。
三位といわれていたのが、四位だったからである。その票数も意外と少なく、六十票であった。(P363)


 なぜか、六十票に減りました。
 さらに、読み始めた『第四部 金脈政変』では・・・。

 予想では三木は田中、福田に次ぎ、そして大平を越えて第三位、百票近い票数を獲得するであろうと
予想されていた。開票の結果、三木はわずかに五十数票、三位の大平に大きく水をあけられた。
予想外の結果に、会場にいた三木の面は蒼白いものへと変わった。(P12)


 とうとう五十数票に・・・。なぜ、同じ選挙の結果で、得票数が変わるのか・・・?

 細かい数字で気になったのがもう一つ――。
 昭和48(1973)年の東京都議会議員選挙についての記述です。

 公明党は二十五議席に対して二十七名公認で、無理をしない作戦であった。現状を
維持するという堅陣をはったわけである。(P392)


 これに対して公明党は、プラス一で二十五名、民社党はマイナス二で二名であった。(P393) 

 プラス1が正しいのであれば、当選者は26名。
 当選者25名が正しいのであれば、プラス・マイナス・ゼロ。
 この二つの文章、明らかに矛盾しています。
 Wikipediaで調べたところ、当選者は26名なので、二つ目の文章の「二十五名」が誤りのようです。
               (1973年東京都議会議員選挙(Wikipedia)

 今まであまり気にしていませんでしたが、細かな数字などは、けっこう誤りがあるかもしれません。
 さかのぼって調べる気にはならないので、第四部以降、気づいたらベースで・・・。


----------------------------------------------------------------------
幹事長の椅子――田中タナ上げの陰謀
首相の誕生日――四選反対の岸信介
反主流派の決起――根強い反福田ムード
政局秋の陣――謀将おとぼけ正次郎
ニクソン・ショック――参院反主流派の反乱
沖縄国会荒れる――ヤング・パワーの造反
サンクレメンテ会談――あいつぐ閣僚失言
事件の連続――田中派の旗上げ
角福戦争――中曾根康弘の決断
決戦のとき――党人政権ついに誕生
新しい敵――自共対決時代へ
孤独な宰相――参議院選前夜
             (昭和56年1月30日初版発行 昭和57年7月20日12版発行)

----------------------------------------------------------------------

 昭和45年10月、佐藤総裁四選決定。
 三木武夫の得票111は、党内の不満の大きさを語ってあまりあった。
 任期満了の禅譲を信じた福田は、外相として、沖縄返還、天皇訪米などの行事に忙殺されていた。他方、幹事長として辣腕をふるい選挙戦を勝ち抜き、総裁への切符を手にしたかに見えた田中は、組閣人事の福田偏重の傾向を潮に、角福対決の肚をかため、総裁公選への体勢作りに力を注いでいた。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック