『小説吉田学校 第七部 四十日戦争』 戸川猪佐武 (角川文庫)

 『小説吉田学校』は第六部を飛ばして、第七部へ――。

 第一部の記事の中で、

   本棚を整理していたら、『小説吉田学校』は全八巻のうち、最後をのぞく七冊が見つかった

と書きましたが、見つからなかったのは第八部ではなく、第六部だったので・・・。

 昭和54年10月、衆院選自民党惨敗。グラマン・鉄建公団不正事件などで停滞する審議。大平は、東京サミットの成功をバネに、解散を強行した。官僚的発送の増税案と驕りに、審判の目は厳しかった。
 248――前回の敗北をも下まわった議席。鈍牛のしたたかさで居すわる大平に、非主流各派の退陣要求は重くのしかかった。異例ともいえる国会の四十日間の空白は、派利派略の汚水のなかで展開された。


 第七部のタイトルは四十日戦争。一般には、四十日抗争と呼ばれています(→Wikipedia)。

 動画もありました。ハマコーです。。



 冒頭に出てくる台風20号は、気象庁HPの「災害をもたらした気象事例」にリンクがありました(→こちら)。

 10月6日にトラック島の南東海上で発生した台風第20号は、12日には中心気圧が870hPaと、観測史上世界で最も低い気圧となるなど猛烈に発達した。その後やや衰えたものの、非常に強い勢力を保ったまま西日本に接近し、19日朝、和歌山県白浜町付近に上陸した。その後本州を縦断し東北地方から海上に出て、北海道東部に再上陸し、温帯低気圧に変わって再び発達した。
 この台風は大型で暴風域が広く、ほぼ全国を暴風域に巻き込んだ。館山(千葉県館山市)で50.0m/s、網走(北海道網走市)で37.4m/sの最大瞬間風速を観測するなど全国各地で暴風が吹いた。19日には、静岡県石廊崎で8.24mの有義波高を観測した。北海道の東部では漁船の遭難が相次ぎ、67名の死者・行方不明者が出た。


 中心気圧870hPa! 記録的な台風だったんですね。
 画像はデジタル台風のサイトから引用です。

画像

 天気つながりで――。
 四十日抗争の発端となった衆院選での敗北。投票日は10月7日でした。
                 ・第35回衆議院議員総選挙(Wikipedia)
 本書には、投票日の天気が悪かったのが敗因の一つ、との記述が何ヵ所か出てきます。

 「投票日が雨だった。それで十議席は減った。一般消費税などを大平君が打ち出したために、また十議席減った……というところか」とつぶやいた。(P43-44、田中角栄の発言)

 大平の脳裏を、
 ――投票日の悪天候が災いした。
 ――大物連中のゆるみがあって、続々と落選していった。
 ――財政再建が一般消費税などの増税と勘違いされた。
 いくつかの敗戦の理由が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。(P46)


 「ただ、わたしには、つきがなかったことは事実だ。投票日の天気がわるかった。それに、政策のいっぽのほう……つまり本体の財政再建ということが問題にされずに、そのための一般消費税などがつかまえられて、揺すぶりあげられた。そういうことを思い合わせてみれば、辞めるほどの結果ではないと考えている」(P127)

 特定の政党の得票率・議席が、天気とどのくらい関連するのか分かりませんが、ここまで重ねられると、どんな天気だったのか気になります・・・ということで、NCEP再解析データで絵を作成してみました。

 ●1979年10月7日9時   左:地上解析図(気圧) 右:500hPa解析図(ジオポテンシャル高度)
画像

 500hPaの谷の深まりが尋常でありません。
 これに対応し、東海沖には1000hPa前後の低気圧。
 梅雨前線上の低気圧にしては丸すぎます・・・と思ったら、台風18号でした。。
 再び、デジタル台風のサイトから、画像を引用です。
 
画像

 7日9時の気圧は992hPaでした。15時には温帯低気圧に変わったようですが、太平洋側では相当、雨が降ったはず。確かに、これは嘆きたくなるのも分かります。。

 四十日抗争の調整にあたったのが、西村英一副総裁で、当時82歳!
 妥協の余地のない大平総理・総裁と反主流の間で、なんともご苦労なことで・・・。
 調整役に選ばれる過程は次のように記述されています。

 ところが、最近まで、その役わりを果たしてきた保利茂は、この夏亡くなり、椎名はその地盤を子息の素夫に譲ったあと、総選挙のさなかに亡くなってしまった。さらに中間派であった船田中も、この一月には世を去っている。残る長老は灘尾弘吉と西村英一ということになったが、灘尾は公平な人柄が評価されている反面、政治力はない。となれば、だれがみても、副総裁になる西村以外には、この役まわりを引きうける人物はいないのだ。(P77-78)

 船田中の死去について、Wikipediaには、1979年(昭和54年)4月12日死去。83歳没。とあるのですが・・・。
 さらにもう一ヵ所――。

 大野が亡くなって、その派が船田中、村上勇両派に分裂すると、福田は船田派に属して、その代貸し的存在となった。この五十四年一月、船田が亡くなったあと、旧船田派の渡辺栄一、稲村利幸、葉梨信行、船田元(中の孫、父親は栃木県知事)たちが、福田を中心にまとまっていた。一派を率いていくだけの人望を持っている。そうした点を、大平とその周辺は高く評価していたわけだ。(P210、福田一に関する記述)

 ここでも、死去したのは一月としていますが、なぜこのような不一致が・・・?
 気になって、保利茂をWikipediaで調べると、没年月日 1979年3月4日(満77歳没) とあり、「この夏亡くなり」と明らかに矛盾します。
 さらに気になって、椎名悦三郎をWikipediaで調べると、

   1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙には出馬せず、
   次男の素夫に地盤を譲り政界を引退。その選挙期間中の9月30日死去。享年81。

とあり、これは「総選挙のさなかに亡くなってしまった」と矛盾しませんでした。

 船田中と保利茂については、誰かほかの人と混同したのでしょうか?
 亡くなった日については間違いがないか、特に念入りにチェックしそうなものですが・・・。
 不思議としかいいようがありません。。

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少数の悲哀――総選挙への思惑
解散――一般消費税浮上
敗北――大平と田中
権力の驕り――大平の返信
駆け引き――実力者会談
首相の進退――荒れる総務会
数の論理――主流派の居直り
重臣会議――若手実力者たちの跳梁
収拾策――総理・総裁分離案
執念――非主流三派の結束
上州連合――中曾根の計算
議長の椅子――最後の長老
対決――"四者会談"決裂
連立工作――野党動く
あくなき抗争――大平のあとを狙う男たち
         (昭和56年6月10日初版発行 昭和57年7月30日8版発行)

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この記事へのコメント

navarea11
2012年02月11日 11:16
選挙と天気には相応に関係があるようで。聞いた話ですので、どこまで関係するのかは判りません(現在の情勢とは違いがありますし)が、選挙が近づくと天気相談所を含めて問い合わせが増えるそうで、情勢分析・議席獲得の数などが頻繁に行われるために、1回の問い合わせが長いのだそうです。最も長い場合で1時間程度とか。さすがに・・・民間気象会社でもこの手の問い合わせは間違うと、業務妨害に発展するので、いい気はしないようです。
相応の分析・評価尺度があるそうですが、実際の動向とは天気以外を含めて13%の違いが出るそうです。天気との関係は票読み段階で15-20%の変動が出るそうですから、あなどれない数値ではないでしょうか。ただ、票読み自体も精度が芳しくないのが実態のようです。
たかはし
2012年02月13日 00:31
天気と投票率との間にある程度の関連があるとはいえ、
それが各政党の得票率にどのくらい影響するかは、
絡み合う要素が多いため、一概に判断するのは難しいと思います。
それでも、過剰と思えるほど情勢分析に余念がないのは
「代議士は選挙に落ちればただの人(by大野伴睦)」という言葉が
(ある程度は)妥当性を持つことを示しているのでしょう。
情勢分析の前にやるべきことがあると思うのですが・・・。
navarea11
2012年02月13日 20:17
確かにただの人。確かにそうなのですが、天気との情勢分析は別の意味があるそうです。今のように業界団体がこぞって・・・が減って投票行動が大きく左右される時代になり、この当時以上に読めない状態に陥っているそうです。
1990年台はじめまで、良くJ党が頻繁に問い合わせていたそうです。とにかく長くて業務妨害寸前だったのは聞いた話でも間違いないようでして、時には直接来て問い合わせていたこともありますし・・・怒り出さないだけでもマシかもと思うほどでしたがね。
その当時に比べると問い合わせは減っているおは確かだそうです。どこかの民間気象会社が専門のパッケージを用意してコンサイングしているそうです。聞いた話では3社あるそうです。
やるべきことはたくさんありますが、結局は単なる「口利き屋」に成り下がってしまうのでしょう、どうにもなりません。
たかはし
2012年02月14日 16:48
以前より読みにくくなっているのは、確かでしょう。
有権者側は無党派層が増加、
政党側はイデオロギー色が薄まった結果、
対立軸が分かりにくくなってきました。
これでは投票行動が読めなくなるのも、無理はありません。
読めないものを、どのように読むのかは興味あるテーマですが、
そこだけに焦点が当たるようでは、本末転倒でしょう。
選挙区が小さくなったこととの関連は不明ですが、
人物としても小さい人が多くなったような・・・。
政治家だけの問題でなく、有権者の問題でもありますね。

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