『小説吉田学校 第一部 保守本流』 戸川猪佐武 (角川文庫)

 約2年ぶりに『ローマ人の物語』を通読し始めようと思ったのですが、ほかにも全部読みきっていないシリーズがありました。『小説吉田学校』と『小説十八史略』です。
 本棚を整理していたら、『小説吉田学校』は全八巻のうち、最後をのぞく七冊が見つかったのに対し、『小説十八史略』は全六巻のうち、見つかったのは(一)(四)(五)(六)の四冊だけ。
 そんなわけで、『小説吉田学校』を読み始めました。

 第一部はGHQが次期政権のあり方に介入する場面から始まります。吉田首班ではなく、山崎首班で行くと決まりかけていた自由党総務会で、その流れを変えたのが若き日の田中角栄。官僚的な吉田茂とそれとは対照的な田中角栄の結びつきは意外な感じがしますが、こういうところから縁があったんですね。
 小説なので多少の誇張はあるのでしょうが、ワンマンな吉田茂のほか、三木武吉、広川弘禅、大野伴睦、池田勇人、佐藤栄作、緒方竹虎・・・などなど、実に個性的に描かれています。内容は昔読んだ『戦後日本の保守政治』と重なる部分が多く、これより詳しく書かれている分、流れがつかみやすいです。先はまだまだ長いとはいえ、これならあと七冊、1ヵ月以内に読めそうな感じがします。

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  奇怪な指令――山崎首班事件
  ある抵抗――田中角栄の登場
  組閣は揺れる――佐藤栄作の起用
  闘いの時間――総司令部との抗争
  吉田学校誕生――池田勇人の登板
  光と葉巻の寓話――自由党の大勝
  独立への胎動――吉田のひそかな決意
  ワシントンへの密使――池田勇人の渡米
  火を噴く三十八度線――吉田・ダレスの勝負
  オペラ・ハウス――対日平和会議ひらく
  対決の日々――起ちあがる三木武吉
  対話と術数のあいだ――三木、吉田に迫る
  失言の波紋――バカヤロー解散
  斜陽のおとずれ――吉田茂政界を去る
  末裔の群れ――大野伴睦の死
  暑い夏の闘い――池田・佐藤の決戦
     解説 石上玄一郎
        (昭和55年12月10日初版発行 昭和57年5月20日16版発行)

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 昭和23年10月10日、自由党総務会。
 昭電疑獄の結果、政権を目前にした吉田茂は、GHQ民政局の吉田不支持の情報と、それにのった党内反対派の暗躍を、若手総務田中角栄の発言できりぬけたものの、前途に暗い影を見い出した。 ――政権安定をはかる吉田の打ち出した策略とは――。
 官僚登用と池田、佐藤をはじめとする吉田学校の形成、領土問題など対米講話の残したものとは……。政界の裏面にも精通する著者が実名で描く、迫真の政治小説。


 「実名で描く、迫真の政治小説」とあるので、当然、全員が実名で登場しているのかと思いましたが、そうではないようです。Amazonのレビューの中にこんなのがありました。

   ちなみに、最近注目が集まっている白洲次郎氏は、
   ここでは「黒須太郎」という名前の吉田首相側近として、端役扱いで登場している。
   傲慢でイヤなヤツとして描かれており、彼の活躍の類は一切描かれていないので注意を。


 そういえば、黒須太郎という人物が出てきましたね。白州次郎とは気づきませんでした。。

 この同じ本のなかで、ワイルズは、吉田側近の黒須太郎という男についても、批評を加えていた。黒須は、子爵金山愛之助の女婿であった。貴族好みの吉田にとり入るだけのマスクや雰囲気と、タクティックスを身につけていた。英語が達者であった。それで、吉田は、第一次内閣のとい、この男を貿易庁長官に起用した。その黒須について、ワイルズはこう記した。
 「なれなれしく人の肩を叩いて談笑するという、まるで大学映画の型を真似た態度で、それが占領軍の多くのものに反発を感じさせ、怒りを買っていた。

 その座敷に、黒須太郎がつかつかと入ってきた。白髪で赤ら顔の風貌は、須永も新聞の写真で見知っていた。彼は須永を見るなり、「これは、だれだ?」とあごをしゃくった。
 その口のきき方と態度は、ケージス以上の不快感を須永に与えた。  
 (中略)「そうか……」黒須は、侮蔑にみちた一瞥を須永に投げかけてから、どっかりとあぐらをかいた。人もなげにふるまうことが、自分の存在と価値を誇示する最大の方法だという人生観を、この男をもっているようであった。(P21-22)


 もう一ヵ所――。

 黒須は返事をしぶった。相手が松野というせいはあるにしても、日ごろの権柄ずくな口調とは打って変わって、弱気な本音を吐いた。(P47)

 悪意とは言わないまでも、かなりきつい表現で描いています。
 新聞記者時代に取材をして、何か嫌なことがあったのでしょうか?・・・と勘ぐりたくなるくらい。
 この文章からは、吉田茂と似た価値観を持つ人物であることは想像できます。
 ほかの人が書いた文章を合わせて見てみないと、何とも言えませんが・・・。

    ・白州次郎(Wikipedia)

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この記事へのコメント

navarea11
2011年12月30日 21:16
この小説自体は読んだことはありませんが、これもどこかの雑誌で連載されていたのではないでしょうか。
吉田茂と白州次郎は、確か今で言う外務の閣僚と官僚の違いがあったかと思います。公文書館や外交史料館の史料から、その間の動きが垣間見えるかと思います。小説やちょっとした伝記とは違って、かなり戦わせた様相が見えるかと思います。
この時代の公文書はまだ公開されていない箇所も多いので、ある種闇のところあるかと思います。
唯一両者とも気性が荒い。は共通していると思いますが、いかがでしょうかね。
たかはし
2011年12月31日 22:12
この「小説吉田学校」について、
Wikipediaには「最初は雑誌連載で、その後は単行本の形で
第7部までが発表され、1981年に角川文庫に収録されるとともに
第8部が書き下ろされて完結した」とあります。

吉田茂と白州次郎は、指摘の通り、
外務の閣僚と官僚といった関係のようです。
気性が荒いほか、貴族趣味なところが共通していると思います。

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