『恋』 小池真理子 (ハヤカワ文庫)
本棚にある直木賞受賞作、最後は小池真理子の『恋』です。
15年ほど前、単行本を借り、その後、文庫本を古本屋で買い・・・ということで、読むのは今回が3度目。
重い話ですが(「なので」のほうが適当かも・・・)、筋はおおよそ覚えていたので、速く読めました。
そのぶん、例によって、細かい部分が気になってくるわけです。
まずは一番最初の部分――。
一九九五年四月十九日。仙台市にあるカトリック教会で、矢野布美子の葬儀がとり行われた。
(略)
夜半から降り始めた雨は朝になっても降りやまず、葬儀の始まるころになると、いっそう雨脚が強くなった。(P7)
当日の仙台の実況を気象庁のHPで見ると、逆のような・・・。
未明~明け方には時間3、4ミリの雨が降っていましたが、朝には弱まり、昼頃はやんでいます。
もう一つ、前年の大晦日――。
よく晴れわたった暖かい大晦日の午後、鳥飼は布美子が入院中の渋谷区にある総合病院を訪ねた。(P28)
1994年12月31日の東京の実況を気象庁のHPで見ると、ほぼ一日曇り空。日照時間は全部で0.5時間。15日は晴れとなっていますが、雲量6。0ミリながら、雨を観測しています。最高気温は9.2度。
「よく晴れわたった暖かい大晦日の午後」とは言い難いようです。
天気以外にも――。
私が片瀬夫妻、半田紘一と一緒に、信太郎の運転する車で別荘に到着したのは、七月末の土曜日のことだった。(P151)
万年カレンダーで1970年を見ると、7月最後の土曜日は25日。
私はお盆までには仙台に帰る、と両親と約束した。その約束を破った覚えはないから、私が軽井沢の片瀬夫妻の別荘に滞在したのはわずか二週間程度だったはずである。(P162)
二週間程度なら、別荘にいたのは上旬までということになりそうですが・・・。
8月10日 万平ホテルで食事(以下略)。
11日 別荘を飛び出し、植木市でマルメロの苗木をもらう。
12日 別荘にマルメロの苗木を植える。
13日 東京経由で仙台の実家に帰る。
13日まで別荘にいたことが確認できます。「三週間程度」のほうが適当な・・・。
まあ、これは布美子が昔の記憶をたどっての話なので、辻褄が合わなくても仕方ないのでしょう。
ただ、これより気になるのは、毎週土曜日夕方、翻訳の清書を片瀬に届ける習慣だったのに、「事件」前々日の2月26日は「午後遅くになってから起き出して」片瀬宅へ向かう気配もなかった、という点。
翻訳の進捗の詳細はよく分かりませんが、「完成」の記述がない以上、清書は続いていたはず。片瀬に届けないのであれば、それなりの理由が必要でしょう・・・って、細かすぎるか?
もっと気になるのは、そして一番気になるのは・・・。阿刀田高の解説・「『恋』に恋して」からの引用です。
序章の最後で鳥飼は布美子に告げている。
"話してくださってありがとう。今後は、僕がその秘密を引き受けます。約束します。この僕が、生涯、胸に秘めて、本にもせず、誰にも言わず、あなたの代わりに、あなたが体験したことを……"
これは生死を越えた魂の約束だったはうだ。にもかかわらず、この本は書かれ、公開され直木賞まで受けたのである。そりゃあんまりな……。小説の中とはいえ、この小説の持つ凛々しさをここで損なわれたような気がするのは私だけだろうか。願わくは布美子の最後の言葉として「いつか、それがよろしいと思われたら書いてください。美しく伝えてください」とあったほうがずっとよかったのであるまいか。私の本書に託する唯一の希望である。
これに対して、小池真理子は付記で次のように書いています。
そのように読まれても不思議ではないな、と考え、ずいぶん迷いもしたが、これはあくまでも、鳥飼の心の中にしまってある布美子の物語をなぞってみせた作品である、と私は解釈している。したがって、あえて文庫化にあたって訂正はしなかった。
ちょっと苦しい感じもしますが、なるほど、です。
これは意見が分かれるところかもしれません。
整合性ばかり求めても、という話もありますね。
ストーリー自体は「世界が違う」としか言いようがありませんが、心地よい(!?)疲れを味わえます。
その種の疲れを味わいたくなったら、また読んでみようと思います。
<11月27日追記>
著者のあとがきより引用。
一九九四年十二月の、風の強い晩だった。何という理由もなく、私は寝室の別途に仰向けになり、CDでバッハの『マタイ受難曲』を聴いていた。何故、その曲を選んだのかよく覚えていない。受難、という言葉に自分自身を重ね合わせたつもりだったのかもしれない。
その時である。何がきっかけだったのかわからない。それは突然襲いかかってきた嵐のように私の脳髄を突き抜けていった。ほぼ一瞬にして、あたかもドミノゲームのごとく、パタパタパタッと、見事なまでに完璧に物語の構想、テーマ、登場人物の造詣が頭の中でまとまった。
(略)
神が降りた、とその時、思った。暗闇が薄れ、光が見えてきた。あとはその先に向かっていけばいいのだった。
冒頭で日付が特定出来るのが1995年4月と1994年12月なのは、着想~執筆の時期と重なっていたからであって、それ以上のものではないようです。これでは実際の天気と合わないのも、無理はないのかもしれません。
『マタイ受難曲』を聴いてみました・・・が、当然、神は降りてきません。信心が足りないようです。。
・マタイ受難曲(Wikipedia)
15年ほど前、単行本を借り、その後、文庫本を古本屋で買い・・・ということで、読むのは今回が3度目。
重い話ですが(「なので」のほうが適当かも・・・)、筋はおおよそ覚えていたので、速く読めました。
そのぶん、例によって、細かい部分が気になってくるわけです。
まずは一番最初の部分――。
一九九五年四月十九日。仙台市にあるカトリック教会で、矢野布美子の葬儀がとり行われた。
(略)
夜半から降り始めた雨は朝になっても降りやまず、葬儀の始まるころになると、いっそう雨脚が強くなった。(P7)
当日の仙台の実況を気象庁のHPで見ると、逆のような・・・。
未明~明け方には時間3、4ミリの雨が降っていましたが、朝には弱まり、昼頃はやんでいます。
もう一つ、前年の大晦日――。
よく晴れわたった暖かい大晦日の午後、鳥飼は布美子が入院中の渋谷区にある総合病院を訪ねた。(P28)
1994年12月31日の東京の実況を気象庁のHPで見ると、ほぼ一日曇り空。日照時間は全部で0.5時間。15日は晴れとなっていますが、雲量6。0ミリながら、雨を観測しています。最高気温は9.2度。
「よく晴れわたった暖かい大晦日の午後」とは言い難いようです。
天気以外にも――。
私が片瀬夫妻、半田紘一と一緒に、信太郎の運転する車で別荘に到着したのは、七月末の土曜日のことだった。(P151)
万年カレンダーで1970年を見ると、7月最後の土曜日は25日。
私はお盆までには仙台に帰る、と両親と約束した。その約束を破った覚えはないから、私が軽井沢の片瀬夫妻の別荘に滞在したのはわずか二週間程度だったはずである。(P162)
二週間程度なら、別荘にいたのは上旬までということになりそうですが・・・。
8月10日 万平ホテルで食事(以下略)。
11日 別荘を飛び出し、植木市でマルメロの苗木をもらう。
12日 別荘にマルメロの苗木を植える。
13日 東京経由で仙台の実家に帰る。
13日まで別荘にいたことが確認できます。「三週間程度」のほうが適当な・・・。
まあ、これは布美子が昔の記憶をたどっての話なので、辻褄が合わなくても仕方ないのでしょう。
ただ、これより気になるのは、毎週土曜日夕方、翻訳の清書を片瀬に届ける習慣だったのに、「事件」前々日の2月26日は「午後遅くになってから起き出して」片瀬宅へ向かう気配もなかった、という点。
翻訳の進捗の詳細はよく分かりませんが、「完成」の記述がない以上、清書は続いていたはず。片瀬に届けないのであれば、それなりの理由が必要でしょう・・・って、細かすぎるか?
もっと気になるのは、そして一番気になるのは・・・。阿刀田高の解説・「『恋』に恋して」からの引用です。
序章の最後で鳥飼は布美子に告げている。
"話してくださってありがとう。今後は、僕がその秘密を引き受けます。約束します。この僕が、生涯、胸に秘めて、本にもせず、誰にも言わず、あなたの代わりに、あなたが体験したことを……"
これは生死を越えた魂の約束だったはうだ。にもかかわらず、この本は書かれ、公開され直木賞まで受けたのである。そりゃあんまりな……。小説の中とはいえ、この小説の持つ凛々しさをここで損なわれたような気がするのは私だけだろうか。願わくは布美子の最後の言葉として「いつか、それがよろしいと思われたら書いてください。美しく伝えてください」とあったほうがずっとよかったのであるまいか。私の本書に託する唯一の希望である。
これに対して、小池真理子は付記で次のように書いています。
そのように読まれても不思議ではないな、と考え、ずいぶん迷いもしたが、これはあくまでも、鳥飼の心の中にしまってある布美子の物語をなぞってみせた作品である、と私は解釈している。したがって、あえて文庫化にあたって訂正はしなかった。
ちょっと苦しい感じもしますが、なるほど、です。
これは意見が分かれるところかもしれません。
整合性ばかり求めても、という話もありますね。
ストーリー自体は「世界が違う」としか言いようがありませんが、心地よい(!?)疲れを味わえます。
その種の疲れを味わいたくなったら、また読んでみようと思います。
<11月27日追記>
著者のあとがきより引用。
一九九四年十二月の、風の強い晩だった。何という理由もなく、私は寝室の別途に仰向けになり、CDでバッハの『マタイ受難曲』を聴いていた。何故、その曲を選んだのかよく覚えていない。受難、という言葉に自分自身を重ね合わせたつもりだったのかもしれない。
その時である。何がきっかけだったのかわからない。それは突然襲いかかってきた嵐のように私の脳髄を突き抜けていった。ほぼ一瞬にして、あたかもドミノゲームのごとく、パタパタパタッと、見事なまでに完璧に物語の構想、テーマ、登場人物の造詣が頭の中でまとまった。
(略)
神が降りた、とその時、思った。暗闇が薄れ、光が見えてきた。あとはその先に向かっていけばいいのだった。
冒頭で日付が特定出来るのが1995年4月と1994年12月なのは、着想~執筆の時期と重なっていたからであって、それ以上のものではないようです。これでは実際の天気と合わないのも、無理はないのかもしれません。
『マタイ受難曲』を聴いてみました・・・が、当然、神は降りてきません。信心が足りないようです。。
・マタイ受難曲(Wikipedia)
この記事へのコメント
気にされている例によって日付の天気ですが、候補は見つかりました。発表年の1995年ではないはず。単行本化がありますからそれ以前でしょう。
候補が多すぎて、どれだろうというのがありました。特定するにはもう一つがいるかも。
完全に一致するのはとても古すぎます。1981年ですが、これに近い条件が1990年と1985年にあります。どれなのかは判りませんが、もう一つがあれば、特定しやすいかも。
小説には、作者の実体験を盛ることが意外に多いので、ある意味重要なファクターになるのですよね。というのは、その頃には構想していたと言うことを間接的に表現していますから。ここまで多いのは何とも不思議です。
記事本文に著者あとがきを追記しましたが、構想の時期からして、
1990年以前に同じような組み合わせがあった場合でも、
偶然に過ぎないかもしれません。