『将棋殺人事件』 竹本健治 (角川文庫)

 4月に帰省した時、例によって何冊か本を持ち帰ってきたのですが、その中の3冊が、竹本健治のゲーム三部作。まずは『将棋殺人事件』から読んでみました。
 角川文庫のカバーに、ゲーム三部作「将棋編」堂々の第1弾!とあったので・・・。でも、実際の発表順では、『囲碁殺人事件』に続く二作目・・・なのに、第一弾となったのは、「ひとえに本作だけが過去に文庫化されなかったという事情によるもの」だそうです。

 15年ぶり(?!)に読んでみての感想は、こんなにツッコミどころありましたっけ?・・・です。

「まだ降り続けてるもんね。これで五日目かな」(P97)

 ちなみに、東京での会話です。東京で五日も雪が続くなんて・・・。

「藍原さんは、今日帰るの」
「残念だがね。ウカウカしていると、国鉄が全面ストップになってしまう。既に新幹線はアウトだからね」(P98)


 国鉄・・・! この作品が発行されたのは1981年。JRに民営化される前でした。それはともかく・・・。

 藍原が上京し、その足で須堂の研究所を訪ねたがのが十二月三日。なか一日の学会を置いて、五日の昼下がりに再び須堂たち三人と待ちあわせたのだが、街なかは人通りもほとんどなく、車も時折大型車が走ってゆく程度で、ひっそりと死んだように静かだった。(P98)

 上の会話は12月5日のもの・・・ということは、12月1日から降り続いている・・・!?
 話はこれだけでは終わりません。。。

 静岡地震の少しあと、大雪の降り始めた日だから、十一月二十七日。男は渋谷のゲーム・センターで、ある女に声をかけた。どこかにドライブでも行かないか、というわけだ。
 女は、掛川の墓地に行きたい、と言った。(P156)


 12月だけでなく、11月にも降っていました。しかも、大雪とは・・・!
 気象庁のHPによると、1953年以降、東京(大手町)で11月に雪が降ったのは、1962/11/22・1962/11/23・1962/11/27・1985/11/30の4回。降雪量はいずれもゼロです。それにしても、1962年はいったいどんな年だったのでしょうか?
 ちなみに、東京管区気象台のHPには観測開始以来のさらに詳細な記録があります。ただし、これによると、1962年11月の雪日数は4日、1985年11月は0日と微妙に異なりますが・・・。
 さらに、12月の雪日数を見ると、最多は1884年と1919年の5回・・・ということは、本書では12月5日の時点でタイ記録! さらに、クリスマスあたりにも雪が描かれていますので、これは記録更新してますね。。。

 で、この11月27日、掛川はどうだったかというと・・・。

 今度の地震で倒れたのだろう。ひとりや二人の力ではどうすることもできず、仕方なくそこからは歩くことにする。車から出ると、寒ざむしく白濁した空は、意地悪く雪の量を増し始めたようだ。
「静岡でも今頃雪が降るのかな。地震のせいで、気象も狂ってるんじゃないか」
 (略)
「雪がひどくなってきたよ。何をしてるの」
 (略)
雪はコートの肩に白く降りかかり、男は苛々とそれを払い落とす。 (P52-53)


 11月の掛川で雪というのも、ちょっと無理があるような・・・。
 一番近い気象官署である浜松の記録を気象庁のHPで見てみると、1953年から2004年まで、降雪を観測したのは1970/11/30と1983/11/26の2回で、降雪量はいずれもゼロ。
 静岡市では(1953年以降)11月に雪が観測されたことはないようです。 (気象庁のHP

 ところで、引用した部分に何ヵ所か「地震」が登場します。

 東京でも震度3を記録したが、その震源地は駿河湾沖だった。静岡県ではほとんどの地方で震度5.伊豆半島南部や御前崎では震度7に達し、海岸ぞいでは津波による被害も甚大だという。(略)
 十一月二十五日のこの災厄は、既に静岡地震という名も定着し、マグニチュード7.5というその強度からも、そして被害規模からも、十勝沖以来の大地震だったのである。(P30-31)


 この地震で起こった土砂崩れのため、白骨化した屍体が発見され・・・ということで、大地震はストーリーに欠かせなかったのは分かるのですが、雪のほうは必然性に乏しく、不自然さだけが残ります。。。


 天気ばかりにツッコミを入れても仕方がありませんね。
 『将棋殺人事件』なので、少しは(?!)将棋の話も・・・。

「でも――専門棋士ともなると、詰将棋なんて一瞬にして解いてしまうんでしょう。いつかテレビで見たことがありますよ。コンピューターと専門棋士に、詰将棋を解く競争をやらせてみたのを。……そのときは、コンピューターが五分かかったのを、プロは五秒ぐらいで解いてしまった」(P58)

 プロが五分かかったのを、コンピュータは五秒ぐらい(ゼロ秒?)で解いてしまった・・・ではありません。 
 30年前のコンピュータ将棋はこういう状況だったんですね。今では考えられません・・・。

 詰将棋の話が出てきましたが、実際、図面入りで作品もいくつか登場します。
 登場人物が投稿した詰将棋、という設定です。
 まずは、これから・・・。見ての通り、玉以外は歩とと金のみ。豆腐図式と呼ばれる趣向です。

 ●図1(A) 46ページ

 自力では解けないので、柿木将棋Ⅳに解かせてみると、35手では、詰みませんでした。のメッセージ。
 柿木将棋Ⅳがダメなら、東大将棋5はどうかというと・・・こちらは解けました。

 ▲5三歩不成 △6一玉 ▲6二歩 △同 玉 ▲6三と左 △6一玉
 ▲5二歩成  △同 歩 ▲6二歩 △5一玉 ▲5二と △同 玉
 ▲5三と左  △5一玉 ▲4一と △同 玉 ▲3一歩成 △5一玉
 ▲4一と  △同 玉 ▲3二と △同 玉 ▲4三と直 △2三玉
 ▲2二と寄  △同 と ▲2四と直 △1二玉 ▲2二と △同 玉
 ▲3三と寄  △3一玉 ▲4二と左 △2一玉 ▲2二歩 △1一玉
 ▲1二歩  △同 玉 ▲2三と寄 △1一玉 ▲2一歩成 △同 玉
 ▲3二と寄  △1一玉 ▲2二と寄 まで45手詰


 途中、何ヵ所か手順前後が効きますが、とりあえず、詰むことは詰みます。
 しかし、これが最短手順なのか、判断できません。
 なので、試しに別解探索をやってみると、手数が短くなりました。
 どうやら、41手が最善のようです。

 ▲5三歩不成 △6一玉 ▲6二歩 △同 玉 ▲6三と左 △6一玉
 ▲5二歩成  △同 歩 ▲6二歩 △5一玉 ▲4一と △同 玉
 ▲3一歩成  △5一玉 ▲5二と △同 玉 ▲5三と左 △5一玉
 ▲4一と  △同 玉 ▲3二と △同 玉 ▲4三と直 △2三玉
 ▲2二と寄  △同 と ▲2四と右 △1二玉 ▲2二と △同 玉
 ▲3三と寄  △2一玉 ▲2二歩 △1一玉 ▲1二歩 △同 玉
 ▲2三と直  △1一玉 ▲2一歩成 △同 玉 ▲2二と直 まで41手詰


 前の詰将棋と同じページに並んでいたのが、下の図。
 盗作の疑いあり・・・という設定なのです。

 ……貴誌十一月号の「詰将棋解答室」、A氏の≪歩と図式≫をひとめ見たときから、ピンとくるものがありました。慌てて古いノート類をひっくり返してみると、やはり記憶は確かでした。『詰将棋の泉』昭和四十八年七月号に、A氏の作品と全く酷似した≪歩と図式≫が発表されていたのです。(中略)……さて、A図とB図を較べていただくとおわかりのように、盤面の駒配置は右上の部分がわずかに違うだけで、あとはほとんど同一。詰手順も、A図は単に≪歩と図式≫の長手数をねらったようなところがあり、6一とは飾り駒、B図は後半、もう一度打歩詰回避の筋を加えて改良してはありますが、前半に関しては全く同一です。単なる偶然とは考えられぬ以上、見過ごすわけにもいかず、敢えてここに筆を取り、関係者各位の注意を促す次第です……。(P44-45)

 ●図1(B) 46ページ

 自力では無理なので、東大将棋5に解かせると・・・37手詰でした。

 ▲5三歩不成 △6一玉 ▲6二歩 △同 玉 ▲6三と左 △6一玉
 ▲5二歩成  △同 歩 ▲6二歩 △5一玉 ▲5二と △同 玉
 ▲5三と左  △4一玉 ▲3一と △5一玉 ▲4一と △同 玉
 ▲3一歩成  △5一玉 ▲4一と △同 玉 ▲3二と △同 玉
 ▲4三と直  △2三玉 ▲1三と △同 玉 ▲2四と右 △1二玉
 ▲1三歩  △2二玉 ▲3三と寄 △2一玉 ▲2二歩 △3一玉
 ▲4二と左 まで37手詰


 後半の打歩詰回避の筋がどのあたりを指しているかが分からないのですが・・・。
 それにしても、上の文章が分かりづらいのは、A氏の作品がB図である点。
 A氏の作品はA図、以前に発表された酷似する作品がB図と思い込んでいたので、初めは意味が分かりませんでした。これは素直な(?)人ほど引っかかってしまいますね。。。

 その後、『図式ロマン』編集部には「第三の豆腐図式」が送られてきます。

『再び、歩十八枚使用の≪豆腐図式≫です。前に≪豆腐図式≫の残酷性のことを書きましたが、今回、あえてそれに徹してみました。打歩詰打開などという明確なテーマは影をひそめ、変化がふくれあがっているところが、いっそうなぶり殺し的な観を強めているのではないかと思います。初形はそっくりで、手数も同じ三十七手。しかし、この双生児の性格は大きく違っています』(P123)

 ●図5 124ページ

 「手数も同じ三十七手」の記述から、作者(A氏)が前に投稿したのが、B図であることが分かります。
 それはよいのですが、東大将棋5に解かせたところ、約2分後に詰みませんメッセージ・・・。
 豆腐図式なので、当然、合駒が登場するわけもなく、変化が膨大なわけではありません(・・・それでも自分は解けませんが・・・)。コンピュータが解けないとは、ちょっと考えづらいのですが・・・。
 ひょっとすると、誤植? あるいは、検討不足で、詰まない作品なのでしょうか?
 そうかと思えば・・・。

『今回は≪純四桂詰≫を送ります。詰上がりが一種類の駒のみになる詰将棋は≪一色詰≫などとも呼ばれ、作品数も稀少のようですが、なかでも特に少ない桂馬で構成してみました。≪豆腐図式≫が真綿によるしめ殺しなら、今回の≪純四桂詰≫は、見えない魔の手による吊し首でしょうか。私のひそかな意見では、詰将棋というのはもともとそういった残酷性をひめているような気がします』(P127)

 ●図6 127ページ

 ≪純四桂詰≫ということが分かっているので、詰上がりは「例の形」と見当がつきます。
 これは暗算で解けました。作意はこの手順のはず・・・。

 ▲2二銀成  △同 玉 ▲3四桂  △1一玉 ▲3三角成 △同 桂
 ▲1二飛成  △同 玉 ▲2四桂  △1一玉 ▲2一銀成 △同 玉
 ▲3三桂不成 △3一玉 ▲2三桂    まで15手詰


 しかし・・・、東大将棋5に解かせてみると・・・。

 ▲1二飛成 △同 玉 ▲2四桂 △1一玉 ▲2一銀成 △同 玉
 ▲3二桂成 △1一玉 ▲2二成桂  まで9手詰


 ≪純四桂詰≫と分かっていたので、読まなかったのですが、実に簡単な余詰がありました。
 あまりに簡単な手順で、これは作者も盲点になっていたのでしょう。
 竹本健治はあとがきで、次のように書いています。

 このシリーズの合本である『定本 ゲーム殺人事件』のあとがきには、本作にそえた自作の詰将棋に関して、「もとより詰将棋と呼べるような代物ではなかったが、その後、余詰まで出てしまった。従って、こうした機会には本来修正すべきだし、僕自身そのつもりでいたのだが、多忙さと能力的限界のために結局それを果たせなかった」と書いたが、今回もまた同じ轍を踏んでしまった点については弁解のしようもない。だが、そのためだけにまるまる何ヶ月か費やすというのは、ますます不可能な情況になっているので、この際、その筋の読者に向けて修正案を募っておきたいと思う。(P290-291)

 「その筋」の人から修正案は出されたのでしょうか?
 ふつうに将棋を指す人と「その筋」の人は意外と重ならないので、『将棋殺人事件』のタイトルでは、「その筋」の人(=詰キスト)がどのくらい反応したのか、微妙な感じがします。
 かと言って、『詰将棋殺人事件』にしていたら、商業的に微妙なことになったでしょうし・・・。
 内容的にはむしろ『詰将棋殺人事件』のほうがしっくりくるのですが・・・、これは悩ましい問題です。。。

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序奏部
 一 怯え       二 恐怖の問題   三 森がのたうつ
趣向部
  四 北極星は千年  五 ある文章  六 奇妙な屍体  七 わずかに染めた髪
  八 ここまで瓜ふたつ  九 風化した石膚  十 昆虫か甲殻類
  十一  産毛がふるえるほどの  十二 ほとんど眼もくれず  十三 さながら異次元に
  十四  瞼のない眼     十五 正式でない埋葬     十六  時間から推し量る
  十七  舞うような髪     十八 白衣で腕を組む     十九  見えない魔の手
  二十  何やら夥しい文字  二十一 水の層を得る    二十二 ひとつひとつ指を
  二十三 遡る前に消える   二十四 元凶は退屈     二十五 成立しない謀略
  二十六 鏡にうつる像    二十七 疑惑は疑惑として  二十八 喰いつくのが悪い
  二十九 いくつかの脳細胞  三十  額を二度叩く     三十一 真実らしいにおい
  三十二 モリアティー教授  三十三 一本の釘       三十四 バンザイを叫ぶ
  三十五 早急な結論     三十六 極めて稀な例    三十七 "まかせろ"と三度
収束部
  三十八 かすかに紅いしみ  三十九 次々に火を    四十  道には
文庫版あとがき
解説 千街晶
                         (平成6年2月10日初版発行)

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この記事へのコメント

navarea11
2010年07月07日 08:28
ここにある地震は、1930年11月26日の北伊豆地震のことですね、有名な地震です。丹那断層が地表に現れた地震です。この当時工事中だった丹那隧道(現在の東海道線、丹那トンネル)が、地震によって数メートルずれたために、アーチ状になっています(計画では直線状なのですが)。丹那トンネルは日本の土木工事史上類を見ない難工事だったことと、度重なる事故が多発したなど、とにかく有名なトンネルです。
地震のくだりに書かれている内容ですが、丹那トンネルの震災事故の事ではないですかね。
navarea11
2010年07月07日 15:59
モノはついでに調べてみました。
静岡県地方で震度5以上(発行される前)あったのは、伊豆大島近海地震と伊豆半島沖地震(1970年代の地震)の2つです。記述にある震度7は1950年以前は無かったこと、1970年代の地震で震度5とされたこと、マグニチュードが7であるものの?です。
この時代、東海地震が騒がれた時期にあたることから、半分その事を入れたのではないかと。日時で言えば北伊豆地震が、唯一該当することになりますが何だってそんな地震を取り込んだのでしょう。
たかはし
2010年07月07日 23:15
navarea11さん、コメントありがとうございます。
なるほど、北伊豆地震ですか。
丹那トンネルのエピソードは知りませんでしたが、
11月末という時期は似ていますね。

ただ、「この時代、東海地震が騒がれた時期にあたることから、
半分その事を入れた」までで、北伊豆地震そのものが
どこまで念頭にあったかは、よく分かりません。
クライマックスがクリスマスなので、逆算して11月末・・・。
時期がほぼ一致したのは、偶然のような感じもします。
navarea11
2010年07月08日 00:12
作者が意図したことがはっきりしませんが、大地震に大雪と、これでもかあー!!と何かやけを起こしているようにも思えますが、どうなのでしょうか?
そうそう、丹那トンエルはちょいとばっかり思い入れのあるところでして、実際に見に行こうと思えば、出入り口くらいは比較的近くまで行けますよ。伊東線の来宮、東海道線の函南です。来宮はすぐ近くまで行けますし、横を東海道新幹線が通過しますし。文献には、函南側を大竹口と書かれているものがありますが、同義です。函南駅の周りには何もありません。丹那断層までは車で行かないと厳しいところです。
たかはし
2010年07月08日 21:00
やけを起こしたとは思えませんが、
物語を劇的にしたくて、こういう描写になったのかもしれません。

丹那トンネルの案内、ありがとうございます。
予定はありませんが・・・一度見ておきたいですね。

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