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zoom RSS 『日本の女帝の物語 ――あまりにも現代的な古代の六人の女帝達』 橋本治 (集英社新書)

<<   作成日時 : 2009/12/21 23:58   >>

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 橋本治の本を読み終えたのは、『上司は思いつきで物を言う 』に続き、二冊目。
 まだ読み途中の本があったのですが、興味のあるテーマの本だったので、先に読んでみました。

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第一章 「女帝」とはなんなのか?
 1 「女帝」とはなんなのか?
 2 「中継ぎの女帝」の背後にあるもの
第二章 「皇」の一字
 1 もう一人の天智天皇の娘
 2 「皇」の一字
第三章 聖武天皇の娘とその母
 1 聖武天皇の母と妻
 2 孝謙天皇とその母
                   (2009年8月23日第1刷発行)

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飛鳥奈良時代は六人の女帝が頻出した時代でした。だからといって、それをただ年表的になぞるだけでは「その意味」は見えてきません。「その天皇はどの天皇の血筋か」とか「徐々に複雑に消された皇統」とか、「嫁姑の問題」とかを読み解くと、極めて現代的な人間世界が見えてきます。当たり前に女性の権力者を生むことのできた「天皇家だけの特別」とは何なのか。この本は、女帝をめぐる歴史ミステリーなのです。

 「六人の女帝」とは、推古天皇・皇極(斉明)天皇・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙(称徳)天皇。
 下はWikipediaから引用した、これらの天皇を含む系図です。


 何やらややこしい感じですが、実際はもっと複雑な血縁・姻戚関係があり、数段複雑・・・。
 でも、橋本治の文章もそれに負けないくらい、かなりややこしいです。例えば、次の文章――。

 安康天皇は、「天皇の娘」であるような女性を妻として求めていて、弟の雄略天皇にさえそれを実現させようとしています。どうしてそんなことをしているかと言えば、彼が自分の地位の「正当性」を微妙に危ぶんでいるからです。まだ世の中には、中蒂姫とは腹違いの兄になる市辺押磐皇子という存在もあります。彼はまた、生母黒媛の姪である葛城の荑姫を妻として二人の男子を得ていたのですが、即位した安康天皇が、その在位の三年目に死ぬと、後継の弟雄略天皇によって殺されてしまいます。(P116-117)

 この文章を一読して、雄略天皇に殺されたのが誰か、分かるでしょうか?

 正解は、「彼」=市辺押磐皇子。
 自分は2回読んで2回とも、市辺押磐皇子と荑姫との間に生まれた「二人の男子」が殺された、と読み取ってしまいました。でも、おかしい・・・。「二人の男子」は二人とも天皇になっているはずだし・・・と読み直し、ようやく正解にたどりつく始末。。。 一度ならず、二度もということになると・・・どうも、自分は相性が悪いようです。単に読解力がないだけでしょうか?
 右はWikipediaから引用した系図。顕宗天皇・仁賢天皇が「二人の男子」の正体です。

 分かりづらかった箇所をもう一つ――。

 藤原仲麻呂は、藤原不比等の長男――藤原南家の祖である藤原武智麻呂の長男です。南家を継ぐのは、彼の兄の豊成で、豊成と仲麻呂の関係は、穏健だった父の武智麻呂と藤原北家の祖となった切れ者のその房前との関係に似ています。仲麻呂は、頭の切れる陰謀家なのです。(P189)

 仲麻呂は武智麻呂の長男と書いていますが、そうすると「彼の兄の豊成」は何? Wikipediaの藤原武智麻呂の項には

 長男:藤原豊成(704-765) 次男:藤原仲麻呂(706-764)

とあるので、これは橋本治の勘違い・・・なのでしょう。

 ほかにも、いろいろとややこしい箇所はありますすが、元明天皇即位の意味を長屋王の地位と絡めて論じている箇所や、聖武天皇の母・宮子の大夫人称号をめぐる聖武天皇と長屋王のやりとりなど、系図をもとに読み解いていく視点は参考になりました。
 
 また、それぞれの女帝についてざっくりと論じた

 推古天皇はおそらく、「いいわ、やるわよ」というノリで、即位を引き受けたのでしょう。皇極天皇はおそらく、「私なんかがなってもいいのかしら」と思って即位を引き受け、その後に「私は分かってなかったのよ。今度こそちゃんとやり直すわ」というノリで、斉明天皇になったのでしょう。
 持統天皇はおそらく、「私がやらなかったら誰がやるっていうの?」というノリで積極的に乗り出し、元明天皇は「いやよ、いやと。私にそんなこと出来ないわ」と言いながら仕方なく引き受けさせられ、その娘の元正天皇は独身のまま、おそらく、「お母様が仰言るのならやるわ」というノリで引き受け、二十一歳で女性初の――そして今までのところでは唯一の皇太子となり、天皇としてあり続けて結婚の機会を得ぬまま四十代になって僧道鏡とのスキャンダルを起こしてしまった孝謙天皇はおそらく、「仕事に生きる」ということを当然とした現代女性と同じように、なんの疑いもためらいも持たず、進んで皇太子となり、天皇であることを受け入れていたのでしょう。そのように古代の女性達はさまざまな形で「現代的」なのです。(P38-39)


の部分――。ざっくりし過ぎているようで、そうだったのかもしれないと思わせるものがあります。
 でも、元正天皇だけはどうも腑が落ちない感じがします。女性で唯一の皇太子は孝謙天皇ですが、独身で通した女性天皇は唯一ではなく、元正天皇が初めてなのです。その不思議さについて、もう少しページを割いてもよかったのでは? と個人的には思います。
 昔読んだ、永井路子の『美貌の女帝』で触れていたような、いなかったような・・・。久しぶりにこの時代の本を読んで気になってきました。この関心があと4ヵ月ほど続いていたら、実家に帰ったときに探してみます。

 まだ読み途中の橋本治の本は『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』。
 3年越しくらいになるのは確実です。。。

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