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help リーダーに追加 RSS 『藍色回廊殺人事件』 内田康夫 (光文社文庫)

<<   作成日時 : 2009/01/09 01:12   >>

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プロローグ
第一章 へんろ道      第二章 大歩危小歩危    第三章 うだつのある町
第四章 第十堰       第五章 徳島新報       第六章 基準数値
第七章 関係者       第八章 丹生谷        第九章 策謀         
第十章 恐喝者       第十一章 疑惑        第十二章 鳥の巣
第十三章 因縁の結合   第十四章 三つの指紋   第十五章 鎮魂の回廊
エピローグ
  自作解説    浅見ジャーナル 番外
                        (2007年1月20日初版1刷発行)

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 2008年最後に読んだ本は内田康夫の『藍色回廊殺人事件』。このタイトルだけではどこが舞台か分かりませんでしたが、最近ちょっと関わりのある徳島県・・・ということで、ミステリーではなく、徳島県のガイドブックとして読んでみました。以下、ちょっと長いですが、緑色の部分は第一章からの引用です。

 「四国三郎」吉野川は四国山地の中央、瓶ケ森付近に水源を発し、徳島市で紀伊水道に注ぐ、延長百九十四キロメートル、流域面積三千七百五十平方キロメートルの大河である。高知県土佐郡大川村から長岡郡本山町付近の小盆地を経て同群大豊町までは東流し、その後徳島県に入り、山城町、西祖谷山村境の「大歩危」「小歩危」の谷をつくって四国山地を北へ向かって横断する。池田町で讃岐山脈にぶつかり、中央構造線に沿って再び東流。いくつもの支流を集め、肥沃な土地を産むと同時に、幾多の洪水を引き起こしてきた「暴れ川」でもあった。

 地図で確かめて見ると、確かに「東流→四国山地を北に横断→東流」・・・こんな複雑な流れ方をしているとは思いませんでした。水源の瓶ケ森から愛媛県側の燧灘への直線距離は20キロ未満、土佐湾までも直線距離で50キロ未満なのですが、約200キロかけて紀伊水道へ注ぐ――とは何だか不思議な感じ。高知県内を流れる川はすべて太平洋に注いでいると思っていたのですが、そんな先入観を見事に裏切ってくれます。

   ・Wikipedia・吉野川

 四国阿波国の産業と文化の歴史は、この吉野川とともにあったといっていい。中でも徳島藩が保護育成した「藍」の生産は、吉野川の特色を活用したものとして特筆される。徳島藩の治水方針は、基本的に無堤防政策であったが、それは連作を嫌う藍にとっては、洪水がもたらす客土が望ましいからだといわれている。
 十七世紀末、全国各地で木綿の生産が急速に伸び、綿布の染料としての藍の需要が爆発的に増加した。その頃、大阪から移り住んだ青谷四郎兵衛が、藍を発酵させスクモという染料を作る技術をこの地に伝えたことから、阿波藍は全国市場を独占し、江戸中期から明治末期近くまで、吉野川下流一帯は日本一の藍の特産地であった。その中心部が現在の藍住町付近である。
 板野郡藍住町は昭和三十年に「藍園村」と「住吉村」が合併したもので、その名が示すとおり、藍の栽培と生産、流通の中枢的役割を果たしていた。
 その名残は、当時の豪商・奥村家の「藍屋敷」などに見ることができる。母屋のほか、西座敷、奉公人部屋、土蔵など十三の建物群を擁する藍屋敷は徳島県有形文化財に指定され、藍商人の栄華を伝える「藍の館」として藍住町歴史館の中核を成している。


 「藍住」の名前は最近知りました。初めて目にしたのは町の名前ではなく、インターチェンジの名前としてです。こんな歴史があるとは、そもそも徳島県が藍の特産地であったなんてまったく知りませんでした。。。

 平成九年三月、徳島県はこの藍住町をはじめ、河口の松茂町、徳島市から、吉野川を遡った上板町、石井町、そしてうだつで有名な脇町に至る辺りを「藍の道」と銘打ち、さらに上流を辿り、吉野川中流域以降を包括して「藍色回廊」と命名する、「阿波歴史文化回廊構想」を発表した。
 この構想には、藍色回廊のほかに、海岸沿いに阿南市、日和佐町、海南町と結んで行く「紺碧回廊」。剣山、祖谷などの山間部を中心とする「緑色回廊」を設定している。構想の目的には「散在している徳島県の豊富な歴史文化資源をルート化(回廊化)して、本県の優れた文化資源を県民に再認識してもらうとともに、県外の多くの人々に広く知ってもらい、地域の活性化と個性化をめざそうとするものである」とうたった。まさに徳島県が乾坤一擲、内外に問うた名プランといっていいだろう。


 株式会社シィー・ディー・アイ (Communication Design Institute) のサイトには「阿波歴史文化回廊構想」において、「藍色回廊」「紺碧回廊」「緑色回廊」が生まれるまでの経緯が詳しく書かれています。
 一方で、「徳島県が乾坤一擲、内外に問うた」はずなのに、徳島県ホームページにはそのかけらも見られません。10年以上経っているとはいえ、中長期の視点で考えられたはずの構想と思うのですが・・・。

 「藍色回廊」の中核を成す吉野川。この小説では吉野川河口に建設の計画が進められていた可動堰問題を絡めて、ストーリーが展開されています。巻末の「自作解説」には次のような記述が――。

 ところで、社会派でなかったはずの『藍色回廊殺人事件』だが、出版後にはやはりなにがしかの社会的余波というか、ある程度の社会的使命を果たすことになったようだ。吉野川河口堰建設反対派の人々がこの本を読んで、運動に弾みがかかったという話を耳にした。そのせいではないだろうけれど、やがて建設計画は白紙撤回に近いところまで後退したらしい。あの美しい吉野川の「第十堰」はとりあえず生き長らえたのである。

 この「自作解説」が書かれたのは2002年1月。「建設計画は白紙撤回に近いところまで後退」は、この2年前に実施された徳島市の住民投票で、反対する票が多数となり、徳島市長が河口堰化に反対する姿勢に転じたことなどを指しているようです。
 さらに「自作解説」の2ヵ月後の2002年3月、建設計画に賛成の立場をとっていた圓藤寿穂知事が収賄容疑で逮捕され、4月には可動堰化の完全中止を公約に掲げた大田正氏が知事選で当選しています。ここまで起こった後ならば、諧謔味あふれた「自作解説」がどのように変わっていたか、ちょっと気になるところではあります。
 それはともかく、この問題は住民投票が注目されましたが、建設を進める行政(+建設業者)VS住民・市民団体という単純な図式では割り切れないところに難しさがあります。複数の自治体にまたがっている吉野川の問題について、徳島市の住民投票だけで決めてよいのか? 異なる自治体の住民間の利害対立をどのように調整するのか? などの問題をはらんでいます。

   ・Wikipedia吉野川第十堰

 徳島−藍住−土成−脇町−美馬−井川池田・・・、あやふやだった徳島自動車道のインターチェンジ名・位置関係も地図を見ながら読んだおかげで、ようやく頭に入ってきました。


                 (画像は日本道路交通情報センターのページより)

 きのう(8日)の夕方から夜にかけては、四国沖のエコーが予想以上に北上し、高知道と徳島道で雨が降りました。過去形にしていますが、エコーの様子から、徳島道ではまだ降っているようです。
 完全な見逃しですが、雨だったのは幸い。あとは雲が抜けた後、気温が下がらなければ・・・。

 ●レーダーエコー図   左:1月8日17時   右:1月8日20時 (気象庁のHPより)

 土日は冬型の気圧配置が強まりそう・・・。徳島道はまだしも、松山道・高松道・高知道は・・・。
 四国でも山間部はけっこう雪が降ります。やってみなければ分からないことはたくさんあるものです。

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